1999年、一番熱かった夜
福岡ダイエーホークスが、球団初のパリーグ制覇をした後、
10月23日(土)から、いよいよ中日ドラゴンズとの日本一の戦いの火蓋が切られた。
福岡技術センタが入居している福岡SRPセンタービルは、一番大きな会議室を開放して、
テレビ中継を放送するサービスを行ってくれたため、
我々は、真っ先に会場入りし、真ん中の前方の席を占拠し、
熱い応援を送りながら観戦していた。
(おそらく他社の人たちからみたら、異様な集団に見えただろう...)
福岡決戦を1勝1敗で終え、敵地名古屋で連勝し、
日本一までリーチがかかった1999年10月28日(木)。
その日は福岡ドームは無料開放で、ホークスビジョンにて中継を行ってくれたため、
我々は当然仕事の後、福岡ドームへ足を運んだ。
この試合に負けると、次は福岡での試合だったので、
「福岡で胴上げを見たいから負けてもいい」という声もあったが、
実力の差は如何ともし難く、試合展開はホークス有利!
そして、ついに・・・・ 日本一!!
我々のパワーが強すぎたのか、ドラゴンズが不調だったのか、
終ってみれば、下馬評を覆す4勝1敗の圧勝!
(唯一の負け試合を観戦してしまったのは私です...)
我々はそのまま福岡ドームにて、日本一決定の余韻にひたり、歓喜の涙に濡れる...
一部ファンが暴徒化し、フィールドに流れ込んだため(写真1)、
勝利の花火があげられず、観客席から「帰れ」コールが起こる。
なんとか勝利の花火もあがり、興奮冷めやらぬ我々は、
会社の寮(K村氏宅)へ集合する。
まずは、ビデオでもう一度観戦し、テレビにてホークスのビールかけ(実は炭酸水)の様子を見る。
その後、我々もビールかけ(実は麒麟淡麗生)を行い(写真2)、深夜3時ごろ解散したのであった。
翌年、連覇を願い、OCTホークス応援団結成となるのであった。
文:ウラデカ